2023年11月26日 (日)

角田大河JK

 昨日の競馬番組を見ていたら、モレイラJK凄いんだけど、角田JKの直線のフォームがモレイラJKに似ていることに気づく。馬の背にはりつくような、負荷を与えないフォーム。この辺が田原好みなんだろうな。

イクイノ君の走り

 自転車で走るとき、最初は軽いギアから始めて、スピードが乗ってきたら順番に重いギアに上げて、トップスピードの時は一番重い(ギア比が大きい)ギアに掛けて走っている。上り坂の場合、軽いギアを傾斜と体力に応じて使い分ける。自然とね。

 体力がついてくると、同じ坂でも数日前までのギアでなく、一段重いギアで上れるようになる。

 重いギアのときに、なんらかあって停止した場合、再スタートしてスピードが乗るまでには時間と力が要る。

 イクイノ君の走りは、これに例えると、ある程度軽くないギアから始めてスピードに乗れる走りと言える。ギア比が大きいから、スピードに乗ってしまえば他馬は追走できない。これがドバイと今年の天皇賞。

 ところが重いギアに入れっぱなしではとっさの時に速い対応は難しい。これがダービーと宝塚記念。

 印象として長距離の逃げ馬っぽい走りで、スーパークリークのようなタイプと考える。

 したがって、とっさの対応を求めるような競馬になったら、そこにチャンスが見出せる。とは言え、そこを突ける馬はリバティアイランドかスターズオンアースのドゥラメンテ牝駒2頭だけである。

 馬券で面白いのは、スターズオンアースの単。これ持ってNHKを見る。

2023年11月24日 (金)

思い込み

 とげのある柑橘類の木に実がなった。我が家の敷地の片隅に植えられてもう十何年か経っている。それが最近初めて青々と実をつけたのを見つけて驚いてしまった。すさまじい生命力。夏みかんのようで、熟して食えるのは何か月か先だろう。見るからに酸っぱそうだ。

 ところでとげがあるのはなぜか?多くの動物に実をもいでもらって、遠くに子孫を残すのなら、とげは邪魔じゃないか?

 ネットで調べたら、「とげは接ぎ木の台木のカラタチから芽が出て伸びたもの、危険なのでとげの出た枝は取り除きましょう」とあった。なんだ柑橘類固有のじゃないんだ。この木のだから切ったらいけないと思って、「危ねえなあ」と思いながら長年放置していたのが間違いだって。

 そういう勝手な思い込みは多いよ。

 もうだいぶ前だけど、今の熊本城マラソンと熊日30キロロードレースになる前、まだ熊日30キロマラソンとして施行されていた頃。あ、今日は熊日30キロの日だ、と実家そばの薬園町信号のところに立って選手が来るのを待っていた。ずーっと前に宇佐美とか君原とか見たのを思い出して。(そろそろ来るかなあ)とか思いながら、周りに誰もそういう人がいないことも不審に思わず、十分くらいいただろうか、来ないのであきらめて、(ああもう通り過ぎた後なんだ)と思い実家に引っ込んだ。そしたらネットで調べて赤面したよ。その年のはるか前、まだ私が熊本にいなかった頃にコースは変更になってたんだって。

 さらにさかのぼると、東京のアパートひとり暮らしの頃、近所の床屋にずっと通っていた。当時は口をきくのがおっくうだったので、「いつものように全体を(前と)同じ長さで、」と言って切ってもらっていた。そのうちに結婚して引っ越す時にそこに散髪に行った。最後なのでちょっと話かけたくなって、「私は後ろが伸びるのが早いんでしょうかね?」と言ったら、なんと、「お客様が全体を同じ長さで、と言われてたのでそのように揃えてました」と言うではないか。あっけにとられた。

 そんなだから、対女子の勘違いは数知れず、Z世代の口約束を信じてありゃりゃとなるのも日常茶飯事である。

 木はとげで目を突かないうちに枝を落とそう。穴があいてもいい服を着て。でもネットが間違いで、木が枯れちゃったりして。

 実が熟する年明けまで待とうかな。(了)

2023年11月16日 (木)

希望

 15日は母の誕生日。92歳。

 花だな、と思ったので、いつも仏さんに上げる花を買うお店で物色し、色とりどりの花を買った。赤いバラ、ピンクのカーネーション、他に青、黄色など。白い水仙は、開かなかったらと思ってやめた。

 実家の花器は地味だ。ホワイトリカーのびんに水を入れて、そこに適当に切りそろえた花を投げこんだ。それ以上はできない。花を生けるのは心得がいる。母は小原流だから、あがいても無駄だ。いろいろ考えず、ただ入れた花を、「花」とだけ言って食卓に置いた。

 「わあー」と母は喜んで、青い花を見て「こら珍しか色ね」と言う。生け方の稚拙さは指摘しない。しょんなかね、と思っているのかどうか。

 今朝も花は鮮やかに食卓を飾っている。母は朝食を介護施設で食べるので、出発まで新聞を読んでいる。その視線の先に花がある。仏さんの花を水切りして、そうかと思い返して、食卓の花も水切りをした。生け直したら、こころなしか昨日よりもよい姿に見える。

 今朝は少し母の動作がかったるそうだったから、額に手を当てた。いつもの冷やっとする感触ではなく、微熱が押し返してきた。少し咳もある。風邪の引きはじめのようなので、介護施設の人にそういって引き継いだ。(夕方母はいつもの調子で帰ってきた。連絡帳を見ると、平熱に落ち着いていた。)

 介護施設への送りは私がする。毎日母を見ていると、そんな観察もするようになった。かかわることへのストレスが、以前の数分の1になっているのを感じる。それは母が弱ってきたのか、介護施設を替えて連携が良好なのか、母に接することが多く慣れてきたのか。いずれの理由にしても、関係は悪くない。

 私の子供は三人とも熊本からいなくなったので、それぞれ連絡事項をメールでちびちびやりとりするだけだ。子供は一人ずつやってきて、一人ずついなくなる。私が92の時にはどうなっているか。

 でもね、『北斗の拳』で、トキが、その妹が自我に目覚め、自立していく姿を見てこう言うのを思い出す。

「彼女は自分の意志で生き、自分の意志で死ぬだろう。」

そんなふうに思っている。

 母が私をどんな風に見ていたのかは知らない。(了)

2023年11月 9日 (木)

応援の力

 今年の夏の高校野球の決勝で、一方の高校の応援で卒業生が大集合した。そこまではいいのだが、その声援たるや、他方の高校のプレーを阻害しかねないほどの大音量で、選手の中には恐怖を感じる者もいたのではないか。そこまではないにしても、あの応援の圧力はものすごく、本当に公平なスポーツと言えるのだろうかという議論がちまたでは持ち上がった。

 高〇連でもそういう認識をするメンバーは多く、来年以降の改善を目指した会議が水面下で始まっているそうだ。

 案はいくつか出ており、

・鳴り物は使用しない。

・音量を測定し、限度を超えた音量が計測された場合、1アウトとする。

・内野席以外観客を入れない。

・プレー中の応援は控えてもらう。つまり、攻守交替の合間だけ等々。

 いろいろあるが、最も有力なのが、高〇連が資金を募って、グラウンドとスタンドの間にガラスの仕切りのある新球場を作る。モデルはJRAの競馬場。競馬場にはエプロンと称してスタンドから走路までの間の空間があるが、新球場もそれにならって、臨場感がほしい観客(千人程度)はそこに入ってもらえるようにする。

 当然の反対意見として、それでは春の甲子園、夏の甲子園ということにならないではないか、というメンバーも少なからずいるが、新球場推進派には阪神タイガースの熱心なファンも多く、いわゆる死のロードがなくなることで、十八年に一回程度のリーグ優勝、半世紀に一回程度の日本シリーズ優勝が、それぞれ十年に一回、四半世紀に一回には縮まる期待をしているらしい。

 しかも新球場はドームにする計画なので、熱中症問題もあっさり解決する。高〇連としては一石二鳥なのである。

 場所をどこにするかは、各メンバーがそれぞれ利益誘導を狙って、なかなかの醜い争いになっているし、地方都市もこの際とばかり手を挙げている。(熊本では川上哲治の出身地の人吉が熱心だそうだ。)

 ロケーションで多いのは、とうもろこし畑をつぶして球場にする計画だ。「それを造れば、彼がくる」だって。(了)

 (創作だよ) 

2023年11月 4日 (土)

JBCの四鞍

 出走馬に多いのがシニスターミニスターとパイロで、いずれもタピット系。クラシックでキタサンブラックの子のウィルソンテソーロに注目したが、経験不足か、真のダート適性(大井の適性)とは違うのか、入着止まり。細江純子のパドック診断でも前進意欲があり好気配とあって同じ印象だったが、芝であれば、というところだろうか。

 スプリントでは唯一のオルフェーヴルの子が人気なく4着で、逆に適性を感じた。

 レディスクラシックで、リーチザクラウンの子アーテルアストレアのパドックの歩様が、後肢が立って堅く感じたが3着入線。ダートはこれで構わないと知らされた。

 スプリントのイグナイターはエスポワールシチーの子。最後まで首を使ったいい走り。ダートは地方中央の差が既に縮んでいる。

 番組をまるまる録画してじっくり見た。相当面白い。来年の路線整備は確実に世界の競馬地図を変えていくだろう。

 ということで、次はBCクラシック。

2023年11月 3日 (金)

頭の体操のよう

 多湖輝(たごあきら)先生の『頭の体操』にこんな問題がある。

 Q.ある所のある国には、正直族とウソツキ族の二つの部族が住んでおり、正直族は必ず正直に質問に答え、ウソツキ族は必ず嘘の答えをする。ある晴れた日、喉が渇いた私は湧き水をみつけた。そばに正直族かウソツキ族かわからないが一人の男がいた。私はこの水が飲用に適しているかどうか、この男に尋ねることにした。

 私「いい天気だね。」

 男「メラターデ。」

 私「この水は飲めるかい?」

 男「メラターデ。」

 さてこの水は飲めるだろうか?(ヒントは文末に)

   ***

 最近変更した・小規模多機能型居宅介護事業所とは、毎日連絡帳でやりとりして、母の具合を確認したり、買いそろえる必要がある物を通知してもらったりしている。

 今朝見たら、「ご本人に確認したところ、毎日出ています、とのことでした。」と書いてある。これは前日に、「排便(大)はしていますか?」と質問を書いたのの回答だが、初心者は間違うよなあという典型。母が正直に答えるわけはないよ。質問者の期待(毎日ちゃんと出てますか?)を察知してただしゃべっているだけ。滞っているかもしれない。

 さあここで、母にどんな質問をすれば、母が大きい方をしたかどうか確認できるだろうか?

 案1、「おしっこは出ましたか?」とトイレ後に母に聞いてもらう。おしっこに注目しているふりをして聞くことで、「大きいのも出ました。」ときたら本当と判断。

 案2、「紙は足りたですか?」と聞いてもらう。紙の心配のふりの質問に、「だいぶ使(つこ)た。」ときたら大きい方もしたと判断。

 トイレにカメラを設置するとか、入る前と出た後の体重差を見るとか、紙の減り具合を都度確認するとか、滞在時間を確認するとか、といった方法は、費用や人手がかかるので不可。職員の方の負担を増やさないのは、やはり事後すぐの質問だろう。良い案あれば下さい。

 ヒント。その日は晴れていた。(了)

2023年10月26日 (木)

天覧競馬

 ずっと前の天覧競馬で、松永幹夫の乗った牝馬が天皇賞を勝った。馬上から貴賓席を見て頭を下げるミッキーの姿を覚えている。

 そのときのヘヴンリーロマンスは決して人気になっていたわけじゃない。

 ルメさん上手なんだけど、イクイノ君をまかす馬がいてもおかしくない。たかだか129点じゃないか。日本にはそのくらいの馬は、もうごろごろしてるんだぞ、と。

 とはいえ、府中の2000はイクイノ君はレースがしやすい。でも可能性追求すれば府中不敗のドウデュースではなく、府中走ったことのない川田の馬。

QOL

 母の生活の質とか言っても、本人がどう思っているかわからないから、しぐさや行動から把握する。(言葉で聞いても、暑なか、寒なか、うまか、どぎゃんなかしか言わないから判断はできない)

 めし。週21食のうち、18食を介護施設で摂るようにしたので、判断材料は月水金の夕食。ここしばらく、促さない限り小皿ひとつ分のおかずと、冷や奴2センチ×2センチくらいを残すようになった。

 全部手作りで持ってきてくれるおかずなので、私が同席するときは残ったら私が食べるが、同席しない時は、食べ残しが冷蔵庫に入れてあり、気づいたらからからになっている。結局廃棄となり心苦しい。

 日中口が寂しいときのお菓子は、もうだいぶ遠ざかっている。だから母は満腹で食わないわけではなく、うまいまずいでもなく、基礎代謝が低くなっていると推定する。介護施設の食事の報告(完食かどうか)と併せながら、対策を考える。

 ここでポイントは、通常楽しみであるはずの食事が、私の段取りによって、母の気持ちを考慮しない・栄養補給の作業になっているようだ、ということだ。ようだ、というのは、冒頭の理由と同じ。

 QOL(クオリティ・オブ・ライフ)をこの場合どうとらえるか?清潔で、規則正しく栄養価を考えた適切な食事であればQOLが高いのかもしれない。食事によって健康をある程度維持しているからこそ、下の世話と洗濯と食器洗い、仏さんへのご飯のお供えを行い、新聞を読み、子供から文句を言われたら言い返し、人が来たらそれなりの対応をすることができている。ただ食事が楽しくはなさそうだ。

 さらに「文句ばいいなすな、薬て思て食べなっせ」と子供は母に食事を強制する。介護施設で摂る残りの18食は楽しいのだろうか。母の態度からはなんともわからない。

 三度の食事、規則正しいめしは大切だ。母が一人になって食事作りに手抜きしだしたら入院する羽目になったが、規則正しい食生活で元気を取り戻した経験から、食事の段取りを母の世話の中心に置く。今日までなんとかそんなに認知症ぽくならないのも、その効果だと思う。介護施設で他人と接するのと併せて。

 でもね、母が楽しく食事ができるように計らうのはなかなか難しい。本当のことを決して言わない人は、損をしていると思う。(了)

2023年10月19日 (木)

両面

 ある人とファミレスで話していた。

 話の内容は日常的なこと。ただその人はこちらの反応を確かめながら話すというよりも、熱に浮かされたように自分のことばかりしゃべっていた。私はほとんど聞き役だった。そこまではよくあることだが。

 いろいろ相談している人がいる、とその人が言った。ぴんときた。その「相談している人」というのは、実在の人ではなく、その人の頭の中で作り出した人だと。

 というのも少し前に、その人に届ける物があって、お留守だったので家の人に渡すということがあった。その時に、その人に心の病があって治療しているというようなことを聞いていた。

 (二つ目の人格が、自分の外に飛び出している)と思った。それでこの人はバランスをとっている。

 誰にでも両面がある。付き合いが深ければ、その複数の顔が見える。話を聞いてくれる、聞いてくれない。楽観的、悲観的。物事に対して消極的、積極的。程度はそれぞれで、ずーっと同じではない。怒らないと思っていた人でも、時に立腹する。誰でもそうやって、気持ちを揺らしながらバランスをとっている。

 付き合いの時間が短いと、一つの顔しか見えない。(好ましいと思えば付き合いが続き、でも許せないところを見出して、付き合いをやめることもあれば、許容できてさらによい友人になることもある。)

 ところが中には、付き合いが深まっても同じ顔を見せ続ける人がいる。いろんな場面、いろんな会話でも、常に同じであり続ける。常にまじめで崩れない、人を思いやる態度に終始する、落ち込んだところを見せない、等々。

 そんな人たちは、いつバランスを取っているのか?溜まったストレスをどうやって解放しているのか?他人の目がない時にも同じならば、きっとどこかで破綻する。体や財布が壊れたり、他人を攻撃したり。

 ファミレスで会った人は、破綻しないように、二つ目の人格を作り出したんだと思っている。

 何年か経って電話をする機会があった。ずっと明るく話していたその人は、感情を抑え込まれたように暗い声で話した。いろんな想像をした。その後その人とは会っていない。(了)

2023年10月12日 (木)

当り屋

 制限速度をだいぶ下回る速度で自分の前を走っている車が、清掃もせず傷だらけの車だったら、当り屋と思うことにしている。

 以前こういうことがあった。

 場所は熊本北郵便局のある、押しボタン信号の付いた交差点で、ローソンの前。片側一車線。私は光の森を背に、楠方面へ向かう途中。

 その信号が黄色から赤に変わったので、停止線で止まるべく減速した。と、停止線まで10メートルというところで、道路左側にあるローソンの駐車場から、軽自動車がびゅんと出てきて、私の車と停止線の間に入り込んだ。危なく追突というほどではないが、まあむかつきやすい人なら切れるだろうな。薄汚れた軽である。

 青になるとその軽は、制限速度は40キロのその道を、30キロ程度でのろのろと走る。なんとなくうさん臭い感じがしたので、車間を通常より余計にとった。軽は一向にスピードを上げる気配がない。したがって私も30キロでついて行く。信号を六つ過ぎ、楠に入ったあたりで、「ちっ」とでも言うように、一気に加速して前方に消えて行った。

 本人から聞かずとも、私がいらついて車間を詰めたら、ブレーキを踏む予定だったのは明らかだ。急ブレーキの言い訳はいくらでもできる。後続車が停まり切れず追突したら、入院でも通院でもして賠償金をせしめてやろうというわけだ。

 つい先日も、前を左右にふらふらと、ゆっくり走る車がいたので、用心して車間をあけた。当り屋かどうかはもちろんわからないが、事故を避けるに越したことはない。

 もし、そういう輩に事故を起こされて、当事者になった場合にはどうしたらいいか?迷わず110番に通報。それが一番重要。なんやかやと言って、通報させまいという態度の相手だったら、(こいつは何か考えているな)と即110番。

 当り屋の手口はいろいろある。二台で前後をはさみ、後ろからあおり、前を走る車がブレーキを踏む方法。二車線の道をのろのろ走り、後ろの車が車線を変えようとして、バックミラーを見た瞬間にブレーキを踏み、追突を誘発する方法。渋滞の間を右折する車のために、前に進むふりをして、途中で止まって接触させる方法。

 全て実話です。(了)

2023年10月 5日 (木)

ランニングフォーム

 ふくらはぎが筋肉痛だが、ここで足をちぢこめて走るともっと痛くなる。

 今朝は前傾姿勢への意識を深めて、ストライドを伸ばすようにしたら、足がリラックスして痛みなく走れた。

 こういう発見が続くと6時間走れるような期待ができる。

オシロイバナ

 オシロイバナの群生が花をつけている。今の時期がピークかどうか知らない。花をつけている時期は長い。どこそこに黄色か赤の花がふさふさと咲いている。

 この植物はきらいだ。庭の草取りをしたことのある方ならわかるだろう。とにかく群がって生え、その黄色も赤も地味で、美しいとはいえない。「はびこる」とか「占領される」とかいう表現がぴったりくる。

 抜こうとすると、意外に根が深く、しかも切れやすい。カライモのように、引っ張ってずるずると地中から引き出せるなんてことはなく、簡単にぽきっと折れてしまう。だからヤマノイモのように慎重に掘って、根の先を見つけて取り出そうとするのだが、やたらすると50センチくらい掘っても先が見えず、最後は土留めのブロックの隙間に入り込んでいて、あきらめざるを得なかったりする。

 草取りを趣味としていた数年前は、このオシロイバナの根の排除はいい時間つぶしだった。玄関脇の一坪くらいのスペースにオシロイバナが住み着いていたのを、根絶を目指してほじくり返していた。

 一旦は全部抜いたと思っても、一週間も経つと、また伸びてくる。それをまた掘って抜くという繰り返しである。恐ろしいと思ったのが、抜いた後に伸びてきたその元を探すと、ごく小さい、5ミリくらいの根の破片だったりする。それからにょきにょきと芽を出し地表を目指して一直線。鉛直方向には根をぐんぐん張りだしている。

 植物だからまだいい。これが動物だったら、例えばトカゲの尻尾がトカゲ全体を再生しようとする途中である。ぞわっとする。

 さて現在はオシロイバナは影も形もない。除草剤をまいたわけではない。あることをしたら、それから姿を見せなくなった。

 草取りのマイブームは去っていたので、根気よく抜いてあげようなどとは思わず、この野郎とばかり、花を咲かせた彼らに、土をかけ、生き埋めにしたのである。その時は、どうせあの再生力だ、こいつらまた生えてくるんだろう、とあきらめていたのだが、その後何日経っても地面に顔を出す気配はない。翌年もその翌年も。そのうちにオシロイバナに占領されていたことを、思い出すのもまれになった。

 せっかく花をつけたのに、そのことを嫌がられたと感じて死んでしまったのだろう。実に人間的な植物である。(了)

2023年10月 3日 (火)

凱旋門賞の感想

 スルーセブンシーズの好走は良かったね。

1.晴れて日本の馬に負担のないやや重だった。それ以上に調教の時点からフランスの馬場を自分のものにしていた。ステゴ系の相性。

2.直線で縫うように伸びてきたレースは宝塚記念と同じパフォーマンスだった。前が詰まったのも同じ。スルーセブンシーズの気迫と能力を示すもの。58キロも問題にしなかった。

3.長期遠征でなくても、前哨戦を使わなくてもいい、ということがわかった。

 てな感想。特に、馬場が合わないと思ったらスクラッチする前提で、やや重までで使うことにするなら充分勝てるだろう。使わないで帰った場合金かかるけど。

 生きているうちになんべんも勝つ瞬間を見られそうだ。

2023年10月 1日 (日)

小粒な凱旋門賞

 エースインパクト陣営の臆病な使い方を見ていると、ザルカヴァと違って、とても「大本命」とは言えない。

 ジョッケクルブ賞のゴール前の素軽い抜け方は優れた馬のものだが、ニエル賞から本番へ、馬場がどうあろうと堂々と行けないようでは、歴史に残るような馬ではない。ゴール前でからんでくるかもしれないが、勝ち馬検討からは無視。

 そういう見方で、モスターダフに出てほしかったが、しょうがない。

 フクム、ファンタスティックムーン、ウェストオーバーのどれか。ここはウェストオーバーの逆転。

 スルーセブンシーズは58キロで最後泣く。

2023年9月29日 (金)

元の木阿弥以上

 「心房細動の状況は変わっていません。が、体がそれに慣れたので、後は血液さらさらの薬を飲んどけばいいです。うちには心房細動で百歳超えている方も来てます。」

 かかりつけ医がそんな言うならと、母を家に戻すことにした。

 さあ大変だ。こっちは母のいない日常に慣れ、体調が良く、精神状態も安定し、ランニングも再開している。その毎日が母にどれだけ取られるか、神経をどれだけ使うか、反動もありでよくわからない。

 月曜にそのかかりつけ医のところで再会した母は、前と全く変わらない。相変わらず「どうもなかとに」といい気分である。

 新聞と牛乳と、夕食と翌朝の惣菜を頼む人に再開の連絡をした。早速朝刊が入っていた。それはそれで気分がいい。

 食卓にその新聞と買ったばかりの暮しの手帖を置く。かかりつけ医がお茶でいいと言ったので、抹茶を小さじに三杯をお湯に溶かしたものをコーヒーポットに作ったが、母はトイレが近くなることにすぐ気づくだろう。医者もそこまでは気が回らない。野菜ジュースを用意する必要がある。

 そんなことを考えて準備し、何とかなるかと思ったが、甘かった。

 水を飲もうとしない、用意したおかずを屁のようにして残す、その神経に頭がきて母を怒鳴る。怒鳴るだけでは足りない。母が木曜朝再び介護施設に行った後はほとんどうつ病のようになった。頭が回転しない。何もする気がしない。夜の十時まで体が動かなかった。

 洗い物をして帰宅しなければならないから、のろのろとそれをやって、やっとの思いで自転車を踏んで帰った。

 この調子では仕事も生活もあったものではない。母のために自分を犠牲にする必要はない。昨年決意したように、施設を探して入所させる。そう決めた。

 夕方(今の施設に所属する)ケアマネージャーの方に、予算に合う、坂田和子に合う施設介護の施設を探せないかと相談したが、所属する居宅介護施設と同系列(同じ内科医院が経営している)以外は探せない、と一蹴された。そんなもんである。

 ということで、母が次に帰宅する月曜までに、施設の当たりをつけ、十月の途中から入れっぱなしにする。(了)

2023年9月22日 (金)

ウシュバテソーロ

 Xに上がっているけど、ウシュバ君の追いきりすごい。ほとんど走る気出さない。最後にちょびっとだけ。書き込みみると毎回こんなみたい。

 海外メディアも、「ダートモンスター、ウシュバテソーロ。アグリワーク」だって。

2023年9月21日 (木)

再開

 来年二月の熊本城マラソンに向けて、痛いとばかり言ってられないので、走ることにした。ランニングが趣味の同僚と話していたらそういう気になった。

 結局コロナによる休息で、足の痛みがなくなったと思ったのは幻だった。自転車を踏み出したらやっぱり左ひざが痛い。まあ痛いと言ったら痛みがなくなることはないので、以降は知らないふりをしておこう。

 何か月か前はこんな状態で二十分走って、右アキレス腱に切れそうなくらいの激痛があってやめにした。

 今回はその轍を踏まないように、初日は左右のバランスに気を付けてゆっくり走った。十分走れた。ここから再スタートという気持ちになった。あと一週間くらい十分でとどめて、それから時間を延ばしていこう。二十分超えてアキレス腱がなんともないことを祈るよ。

 同級生の進言もあり、ランニング後は膝を折って後ろに反り、前ももを伸ばすストレッチを入念にやる。膝は折る分には痛みはなく、ひねりが加わると痛い。ただ、痛いのがアンタッチャブルな痛みかというとそうではなく、適切な運動で改善されていくような気がする。

 二日目は少しだけ(95%くらい)足が軽かった。ただ体の重さを相当感じるので、走れる体になるのは、推定二か月後。

 またこの一週間で再開したのが、つかまりスクワットと、(名前は知らないが)片脚を前に出し、膝を90度に曲げたままそこに体重をかけ静止する運動。いずれも膝回りの筋肉をつけるため。そうそう四股も踏んでみよう。豊真将か阿炎をイメージして。

 さて旅行に行って楽しいのは、帰るところがあるからである。帰るところとは何か?待ってくれている人、人々がいるところ。同様に毎朝ランニングの後、家に戻り、あらためて日常に接すると、ああ今日も汗かいたなあ、と気分が良くなる。

 熊本城マラソンに無事参加したとして、タイムオーバーで乗るバスの中で、ああ俺はある程度走れたなあ、と満足するだろうか。そんなことはない。ちゃんと完走して家に戻り、それから笑点を見てはじめて充実した気分を味わえるのじゃないか。

 だから残りの期間は短いけれど、完走をあきらめず練習しよう。(了)

2023年9月14日 (木)

進化する節約法

 節約は好きだよ。て言うか物を捨てられないのもある。たんすの中に、変色してるものの破れていないポロシャツが何着も。(自転車通勤用。汗かくのでこれで十分)ジーンズはダメージどころかケツが破れているのを自分で繕ってはいている。もちろん人前に出る時に身に着ける衣装は気を使っているのでご安心ください。

 靴(革靴、仕事用)は、リーガルのウィングチップが二足とポストマンが一足。前者はどっちも二千ゼロ年代から。ウィングチップは平成の終りごろ。クリーム付けて乾かないようにして、シューキーパーで型くずれ防止。それだけで二十年以上履けるからすごいね。

 本題はそういうところではなく、物の値段がぐんぐん上がっていることに対する防衛策。「無駄を省く」とひと言で言うけれど、実際に私がやっていること。

 コンビニに車を停める。たいていは電話。駐車場の無断借用にならないようにコンビニで何か買い物をする。ここでコーヒーとか買うとみるみるお金は減っていく。そこで消耗品の補充リストを作っておき、コンビニでそれを買うようにしている。熊本市指定ごみ袋とか、ポストイット強粘着とか。ペットボトルの水は、買い置きで支障はない。

 実家で仏さんのご飯を炊く。何か月か前から弁当(昼と夕の二食)のご飯を一つにして、一食は仏さんに上げたご飯を食べるようにした。

 テニスのジョコビッチ選手の食事の改善に関する本を読んだら啓発されて、体にいいのは常温の水と見極めた。なので作業をしている実家では、最初はお茶を淹れるが、出切ったら後は湯冷ましの水を飲んでいる。なんかいい感じ。

 急須の柄が折れた。ふたは無事なので、お茶を淹れる時、茶こしで入れているが、そこにふたをするようにした。香りが逃げず、うまい。

 月々の経費+個人的出費、および収入の予算計画書を作っている。収入以内でやりくりしないと借金をしなければいけなくなる。したがって赤い数字がなくなるまで試算を繰り返す。ポイントは、毎月発生する出費に加え、年一回、半年に一回、イレギュラーな出費を可能な限り組み入れること。それで回っていく。

 そうしたことの結果、気持ちに余裕を持った状態を保てている。いいぞ。(了)

2023年9月 8日 (金)

アイリッシュ・チャンピオンS

 オーギュストロダンは飛行機で遠征すると惨敗、とどこかに書いてあったので、ここは地元。信頼してみよう。現代の根幹距離G1を勝ってスタリオン入りなら箔が付く。

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